「社会学と市民社会の理念」(2002/12・23UP)


2001年7月に仙台で行われた東北社会学会において、「思想としての社会学の可能性」というタイトルでシンポジウムが行われました。菅野仁さんの司会のもと、課題報告として、パーソンズについて高城和義、ウェーバーについて松井克浩、マルクスについて加藤真義の三氏から発表があり、西研と正村俊之さんがコメンテイターとしてコメントしました。そのさいの西のコメントをまとめたものがこの小論です(西研)。


書き下ろし未発表論文です。

「なんのための」社会学か(2003/1・12UP)


これは、2001年度東北社会学会大会の課題報告「思想としての社会学の可能性」(2001年7月)において、三人の報告者に対して西がコメントしたことがきっかけになっています。そのあと、ウェーバー論のかたちで、あらためて社会学の存在理由について考えてみたのがこの未発表論文です(ぼくは学生のときには社会学と哲学の両方を勉強していたので、社会学には特に愛着があります)。 東北社会学会の『社会学年報』に掲載することを念頭においていたのですが、そこには当日のコメントに沿った論文を掲載することになり(これが「社会学と市民社会の理念」)、それでこちらは宙に浮いてままになっていたわけです。内容的には「社会学と市民社会の理念」と重なるところもありますが、ウェーバーの客観性論文と価値自由論文を検討していますので、その点に興味のある方はどうぞご覧ください(西研)。

社会思想はどのような要請のもとに形づくられてきたのか。今後、社会学どのように構想すれば、人々の生の問題に届くものとなるのか。……平明に、かつ深く、解き明かしてくれます。ぜひ、ご一読くださいね。 


「二十一世紀の文化を考える−−“世界像の危機”の時代に(2002/12・2)

京都精華大学が入学を希望する高校生を対象に開催している「人文学セミナー」第一回(02/6/9)で行った記録の実録です。「“世界”と“自分”の関係としての“世界像”」という観点から、現代社会を「世界像の危機の時代」と捉えて、そこから生じる問題を描いたものです(西研)。