「なんのための」社会学か?
西 研
1.社会学は「思想」たりうるか
「思想としての社会学の可能性」というとき、「思想」という言葉によってどういうことを考えればよいだろうか。私自身は思想というとき、いつもニーチェの次の言葉を思い出す。
「ひとは哲学のなかに世界像を求めるが、それは、そのなかで私たちがほんとうに自由だという気分になるからである。つまり、私たちの最も力強い衝動が自由に活動できると感じるからである。私の哲学もまた、そうした気分にさせるであろう!」[*1]
新しい世界像、言いかえれば、自己と世界に対する新しい見方をつくりだすことによって、一人一人の生を元気にさせること。ニーチェはこれを「哲学」と呼んでいるが、私はそれを広く思想と呼んでいいと思う。キリスト教のような宗教思想も、マルクス主義のような社会思想も、自己と世界に対する新たな「像」を提供することによって、人びとに勇気と希望とを与えてきたのだ。
社会学ということもそうした思想の営みの一環として、考え得るように思われる。それはしかし、個々人の生を取り巻く「歴史的・社会的な条件」に着目する点で、宗教や哲学や文学とはまたちがった質をもつものといえるだろう。
社会学は、生の歴史的・社会的な条件に着目することによって、人びとの経験する困難を同じ社会を生きる〈われわれ〉の問題として捉え、その原因をさぐり、解決の方向を提示しようとする。社会学はまた、個人的な苦悩や生死の「意味」への疑問(実存的問題)に対しても、それを可能にする条件−−たとえば「豊かな社会」のなかでの個々人の生の置かれた条件−−に着目することによって、そのことを時代に共通な*竭閧ニして取りあげ、考えようとする。
このように社会学が、勇気と希望を与えるものという意味で、「思想」としての意味をもちうることは明らかなように思われる。
しかし、ドイツにおいて社会学を確立したマックス・ウェーバーは、社会科学がそのままま特定の「社会政策」を生み出したり、「生死の意味」といったものを生み出したりできる、という考えを一貫して排除しようとした。
たとえば晩年の講演『職業としての学問』(1919)では、彼は経験科学的認識と価値判断とが全く別の次元にあることを強調する。そして、世界の意味・生存の意味を求める若者たちに対して、経験科学はそうしたものを与えることはできない、それを求めようとするのは「弱さ」である、といい、一歩一歩着実に進む学問的訓練の大切さを説く。そして価値判断の領域は基本的に「神々の争い」であって、議論によって一つに決定されうるようなものではない、と突き放す。
もしウェーパーの言葉を字義どおりに受けとめるならば、社会学は思想たりえないことになってしまう。思想というものは何よりも、価値や意味の問いを含むものだからだ。
いま、大学に入ってくる若者たちが社会学に求めるものは何か、と問うてみれば、やはりそれは、価値や意味の問いと関わってくる。
彼らの求めるものは、一つには、正義・不正義の問いだろう。社会に生ずる様々な事柄について、それぞれは正義であるのか、不正義であるのかをはっきりさせたい、という問い。自分はどういう政治的な立場を取ればよいのか、という問いもここに含まれるだろう。
さらに彼らの求めるものは、新たな社会構想、ないし困難の実践的な解決への希望だと思われる。たとえば、環境・資源問題を人類はクリアーできるのか。そのための方策はありうるのか。先進国と途上国の間の極端な貧富の差(南北問題)が解決されていくための方策はありうるのか、といった問い。「社会に関心がない」といわれる若者たちも、じつは、環境・資源問題に対する不安感を色濃くもっている。ただ、「どうせ解決法なんかないにちがいない」というペシミスティックな気分から、そうした事柄を考えないようにしている、ということが多いように思われる。
さらに、現代の若者(大人も含めて)の多くが、生の意味への問いを抱えている。「後発近代」的な世界像−−学問を通じて立身出世し豊かになるという人生の目標、欧米に追いつけ追い越せという国家目標−−が崩壊した後の「豊かな社会」のなかを生まれ育った若者たちは、明確な世界像を持ちえないまま、大学に入学してくる。彼らの多くにとって、社会問題は「関係ない」。そして「私はなんのために生きているんだろう」「なぜなんのために生きているんだろう」という問い(苦しみ)へと追いやられているのである。
もし、これらの問いはすべて、「意味と価値」に関わる問いである。これらすべてに社会学が答え得ないとすれば、社会学は人間的な「生」に関わりそれを勇気づけるものとしての、「思想」としての意味合いをもてないことになってしまいかねない。
もちろんウェーバーは、学問の実証性のみを重視し、価値への問いを無意味なものとみなすような「実証主義者」ではなかった。むしろ彼は、価値への問いをきわめて重要なものとみなしていたのである。ではウェーパーは、価値判断と社会学の営みとの関わりをどのようなものと考えていたのだろうか。本稿はこのことを検討することによって、社会学の思想としての可能性をより明確な形で把握し直すことを課題とする。
そのための作業として、まず、社会(科)学の営みがそもそも単なる客観認識ではなく、実践的な関心にもとづいて成立したものであることを確認したうえで、価値判断と社会認識の峻別の必要がどこから出てきたのかを、考えてみたい(第2節)。
次に、ウェーパーの「社会科学と社会認識にかかわる認識の「客観性」」(1904)(以下〈客観性論文〉と略称する)と、とくに「価値自由」の問題について詳しく論じた「社会学・経済学における「価値自由」の意味」(1917)(以下〈価値自由論文〉)に依りながら、社会学と価値との関わりに関するウェーパーの考え方を検討する(第3節)。
最後に、現代に戻って、現代の社会学が思想の営みをなすものとしてふさわしいあり方をしているかどうかを、確かめてみたい(第4節)。
2.社会科学の「前提」−−市民社会の理念
もともと社会科学は、客観世界をそのまま写し取る、という意味での単なる客観認識ではない(じつは自然科学もそういうものではないのだが)。
社会学上の古典と目される、マルクス、ウェーパー、デュルケムといった人びとの仕事をざっと想起しただけでも、それがきわめて実践的な関心から生み出されていることは明らかである。マルクスは、極端な貧富の差や経済恐慌といった現象の原因を「資本」に求め、ウェーバーは官僚制的硬直化を、デュルケムは自殺率の増加にもつながる社会的連帯性の緩みを「問題」としたのだった。彼らの社会認識はどれも、社会において経験される困難の原因をつきとめ、それを解決するための社会政策・社会構想を生み出そうとする関心から生まれているのである。
彼らの社会認識には、一定の価値理念が働いているといえる。つまり〈対等な人びとによって運営される社会〉という理念がおおまかに共有されていて、そうした理念に奉仕するものとして、社会的な困難の認識から社会政策(社会構想)へ、という営みがあるということができる。
私たちにとってこれはあまりにも「あたりまえ」のことであって、それが一定の価値理念であることも忘れがちだが、もちろんこれは近代になってから−−とくに「社会契約説」によって−−形づくられてきたものである。
社会契約説は、現代の社会学の立場からはありえないフィクションとしてあざ笑われたり、社会以前に「個人」を想定することの誤りを指摘されることも多いのだが、私の考えでは、社会契約説がつくりあげた近代的な理念−−私はそれを「市民社会の理念」と呼んでいる−−こそが、社会科学の土台となり、社会科学を可能にしたものなのである。そのことの意味を、あらためて確認しておきたい。
2−1 市民社会の理念
社会(国家)秩序に関する中世的な見方の決定的な転換をなしとげたのは、一七世紀のホッブズ(1588-1679)であった。その最大のポイントは、国家という秩序を神が定めたものではなく、人びとが「共存」するためにつくりあげた秩序とみなした点である。
中世では、王、貴族、農奴といった「身分」にもとづく秩序は、神が与えた秩序だとされていた。そして国王は農奴と「同じ人間」ではなく、神に由来する神聖な力をもつ特別な人間であって、フランス革命直前まで、ルイ一六世は病んだ人びとに手をふれて癒していたといわれる。当時の社会秩序は、神に由来する力をもつ国王を至上の中心として成り立つ「垂直な」秩序であって、それは神に由来するものとして、個々人の意志によって変更可能なものではなかった[*2]。
ところがホッブズはそうした見方を完全にひっくりかえしてしまう。あらためて『リヴァイアサン』(1651)での社会契約の道筋を復習してみよう。
ホップズはまず、神に対して義務を負う存在という宗教的な人間像に対して、人間が自己保存の衝動をもつことを率直に認めるところからスタートする。つまり人は快を求め不快を避けるようにして生きている。だから人は、将来にわたっても快を確保するために、権力や富を求めて争いあうことになる。またとくに人にとって誉められる快が重要で、他人から侮辱されることを我慢できないので、人どうしは名誉を求めて争いあうことになる。
そういう人間の本性からして、法律も、それを守らせるための権力も存在しない状態(自然状態)のなかにあるかぎり、人は必ず「万人の万人に対する闘争」を引き起こし、たえず死の危険にさらされる。そこではせっかくの労働の果実(所有物)も安定して保持できないため、文明が発達することがない。「自然状態においては、人間の生活は孤独で貧しく、きたならしく、残忍で、しかも短い」[*3]。こうした自然状態を逃れるために、人びとは理性を用いた結果、「一人の個人ないしは合議体」を「主権者」と認めてその命令に従うことにする、という契約を全員が取り結び、そのことによって国家がつくられることになる。
よく知られたストーリーだが、この社会契約の論理のなかには、次のような思想が含まれていることがわかる。
それは第一に、国家の秩序の存在根拠を神から人間の側に移す(国家秩序の存在根拠の転換)。ホッブズによって、国家は人びとが幸福に生きる「ための」ものになったのである。そして第二に、個々人が生きていくために国家があるのであって、国家のために人が生きるのではないという思想(個々人の幸福追求の「手段」としての国家)、第三に、民族や宗教や一切の出自に関係なく個々人は基本的に「対等」である(民族や宗教の度外視と個々人の対等性)、という思想がここにはある。
この社会契約の思想が、中世的な国家秩序のイメージをすっかり書き換えてしまったことがわかる。ホッブズこそが近代的な国家観の基礎をつくったといってもいいすぎではない。国家は、神の意志にもとづいて国王が治める秩序ではなく、対等な〈われわれ〉が〈われわれ〉の共存のために形づくる秩序となったのだ。
続くロックやルソーの果たした意義を詳説することはしないが、ロックはイギリス市民革命の終了した時期(名誉革命)の直後に『市民政府論』(1689)を書いて、国家の法や諸制度は変更可能であり、それは人びとの福祉のためのものである以上、人びとの合意にもとづくものでなくてはならない(秩序の変更可能性と民主的合意)という思想を確立させる(ルソーはより明確に人民主権を宣言している)。さらにロックもルソーも、個々人の自由を重要な価値とみなし、自分の人生を自分の意志によって導く権利を尊重する(自由の尊重)。
こうして社会契約説は、〈個々人の自由を尊重しつつ、対等な市民たちが自分たちの合意にもとづいて、互いの共存と福祉のためにより好ましい社会秩序をつくりあげていく〉という理念(市民社会の理念)を生みだしたのである。
近代社会が生みだしたこのような理念は、最初はイギリス市民革命、アメリカ独立革命、フランス革命を通じて、ヨーロッパ社会に定着していった(他方で、ナショナルな国家観=民族のための国家という思想も生まれたのだが、ここでは追究しないでおく)。市民社会の理念は、それを受け取る色合いは個々人によってさまざまに異なるとしても(個人の自由を重視するか、それとも共同の福祉や平等を重視するか等々)、現代の私たちにとってはすでに共通の理念となっているといってよい。
2−2 社会科学の成立とマルクス主義の「思想」
ここまでは、社会科学以前の、いわば「社会理念」であった。では、社会科学−−社会の実質的な認識−−は、なぜ必要とされたのだろうか。
社会契約論者において、社会という言葉はほとんど登場しない。社会契約という言葉のなかの社会は、コモンウェルス、つまり政治的共同体としての国家であった。社会契約説ではなく社会科学が生まれるためには、政治制度とは区別された、自律的・自生的な秩序としての「経済過程」が着目されることが必要だった。
那須壽は、社会学が「フランス革命の展開、産業革命と科学の関心への増大、啓蒙思想の展開」によって生まれたことを指摘しているが、とくに産業革命によって「労働問題」と「都市問題」が生まれ、それが新たな社会秩序の確立を要求することになった、と述べている[*4]。産業革命と資本主義の進展は、旧来の農村共同体の破壊、都市への多くの貧民の流入、といった現象をもたらした。きわめて大きな貧富の差のなか、若年労働で早死にする子どもたち、といったことがまずはイギリスで大きな問題となる。
こうした産業と資本の発達によって生じた問題をどのように認識し、どのように対処するか。社会学の一つの源泉とされるマルクスは、極端な貧富の差が生じる根本原因を自律的な資本の運動に求め、資本制を廃棄した新たな社会を構想した。マルクスはもともと哲学徒として出発したが、こうした新たな社会構想は、哲学から脱して経験科学(実証科学)の立場に移行し、社会の実質的なあり方の認識を媒介することによってはじめて可能になったものだった。
しかしマルクス主義は「市民社会の理念」を廃棄したわけではない。むしろ市民社会の理念がこのままでは実現され得ない−−市場での自由な経済競争を行えば、必ず資本の自律的な運動を導き、極度の貧富の差を招いて、市民の対等・平等という理念はその実質性を失う−−ことを認識した上で、その実現の可能性を探ろうとしたといえる。マルクス主義は、〈対等な市民たちでつくりあげる社会〉という市民社会の理念を、実質的な社会の認識とそれにもとづく社会秩序の変革によって、可能にしようと企てるものだったのである。
そのかぎりでマルクスにおいては、社会科学はまさに人びとの「生」に奉仕するものであって、単なる客観的な社会把握ではなかった。そしてマルクス主義は、極度の貧富の差や、帝国主義的植民地争奪戦といったものを根本的に解決する「思想」として、多くの人びとの希望となったのだった。しかしこの希望の思想は、きわめて大きな問題を生み出すことにもなった。
それは、マルクス主義において社会科学的認識と価値判断がほとんど一つに織り合わせて、一つの包括的な「世界観」を形づくってしまったことからもたらされた。
一九世紀には「唯一の客観的な社会認識がありうる」という客観主義的な信念が強かったといわれるが、マルクスの社会認識は絶対化され「唯一の客観的真理」とみなされた。それとともに社会主義という理想もまた「唯一の客観的正義」とみなされた。
真理と正義の二つが織り合わさったことによって、マルクス主義は独特な権力性を獲得する。マルクスの理論を批判することはそのまま、反革命(不正義)を意味することになる。マルクスの理論は社会科学の理論として不朽の意義をもつと私自身は考えるが、しかしそれは、「お前は正義に生きるのか不正義に生きるのか」と個人に迫る「踏み絵」として機能した面が確かにあった[*5]。
社会主義の実験が失敗し冷戦が終結した現在にあっても、社会学が、科学の名のもとに社会認識と価値判断が一体になったものを与えるという傾向は決してなくなってはいない。そのことが、社会学をある人には「正義の問い」を満たす魅力あるものと感じさせ、また別の人には「倫理的決断を迫る息苦しいもの」として感じさせることになっていると思う。このことについては最後の節でふれたい。
マックス・ウェーパーが、社会認識と価値判断とを峻別することを要求するさい、彼は基本的には、ドイツ歴史学派の批判という形でそれを行っているが、同時にマルクス主義を念頭においていたことはまちがいない。社会認識から一つの正義や倫理が引き出せるという考え方を批判し、二つを引き離すこと。社会科学がマルクス主義のような「包括的な世界観」となることを防ぎつつ、社会認識の役割を限定的に位置づけること。こうしたことが、ウェーバーの社会科学論の課題となるのである。
3.ウェーバーにおける社会認識と価値理念
さて、1904年の〈客観性論文〉と、1917年の〈価値自由論文〉によりながら、社会認識と価値の関係について、ウェーバーがどのように考えていたかを簡潔に整理してみることにしよう。
両者ともに、まず第一に、あるもの(存在)とあるべきもの(当為)の認識が原理的に区別される異質なものであることを主張する。〈価値自由論文〉では、次のように述べられている。「一方では、規範としての実践的命令の妥当性があり、他方では、経験的な事実確定の真理妥当性があって、この双方は絶対的に異質な問題領域にある」[*6]。
しかし歴史学派の大物であり、ウェーバーから見れば師匠格にあたるシュモラーは、歴史学からわれわれが従うべき倫理を引き出そうとしている。ウェーパーはそれに強く異議を唱える。「倫理的なものについての「現実主義的
realistisch」な科学−−いいかえれば、人間集団のなかでそのときどきに支配的である倫理的確信がその人間集団のその他の生活条件からうけた事実的影響や、こんどは逆に倫理的確信がその他の生活条件に及ぼした事実的影響を提示すること−−が、これはまたこれで、妥当すべきものについていつか何事かを述べうる「倫理」を生みだす、ということにたいして、私は非常に強く異議を唱えるものである」[*7]。なぜなら、経験科学は、ある評価的立場が社会的・歴史的に制約されていることを「理解しつつ説明する」ことはできるが、しかしその作業は決して、自らが採用すべき立場をもたらすことにはならないからである。
3−1 経験科学が実践に果たしうる役割と、価値議論
だとすれば、歴史学や社会学のような経験科学は、実践に対して何を提供することができるのだろうか。〈客観性論文〉のウェーバーは、まず次の二点を示す。
1.目的に対する手段の適合度の検証
2.ある手段を採用するさいの随伴結果の予測(メリットとデメリットの計量)
後者について彼はこう述べる。「責任をもって行為する人間の自己省察で、目的と結果との相互秤量を避けて通れるようなものはない。とすれば、そうした相互秤量を可能にすることこそ、われわれがこれまでに考察してきた[科学にもとづく]《技術的》批判の、もっとも本質的な機能のひとつである([]内は訳者による補足)」[*8]。〈客観性論文〉の補訳者である折原浩はその「解説」のなかで、こうした「技術的」批判が、「責任倫理」的な−−結果を含めて責任を負う−−主体のあり方を可能にするものであることを指摘している[*9]。
さらに続いてウェーバーが、学問がなしうることとして指摘するのは
3.具体的な諸目的の根底にある「理念」の解明
4.個々の目的とその根底にある理念との連関が内的矛盾を含み自己欺瞞を侵していないかどうかについての、形式論理的な吟味
である。「われわれは、具体的な目的の根底にある、あるいはありうる「理念」を、まず開示し、論理的な連関をたどって展開することにより、かれが意欲し、選択する目的を、その連関と意義とに即して、かれに自覚させることができる」[*10]。
この課題は、二つの方向をもちうる。一つは、互いに対立する意見をもつもの同士が、その意見の違いの根底にある究極の「価値公理 Wertaxiom」を取り出し検討する作業であり、これは〈価値自由論文〉では「価値議論 Wertdiskussion」と名づけられ、詳しく検討されている。互いの具体的な個別的な価値評価のちがいから、その根底にある基本的な価値公理へと遡り、互いにそれを「自覚」することがその目的である。他人についてはもとより、自分自身についてもその「価値公理」を自覚していないことが私たちは多いからである。折原浩は、この価値議論のプロセスを、みずからの価値公理の自覚化と、それが他に対してさらされることによる「相対化」を経て、改めてその価値公理を担い直す作業、として捉えている[*11]。
この価値議論は、もとより「どういう価値公理を選択すべきか」を教えることはできないが、みずからの価値公理を「自覚」し、さらにそれを実際に実践するさいの「現実的な可能性」(具体的な手段は何か、その副次的な結果は何か)を考慮することを命じる。その可能性がまったく見出さないならば、その価値公理は変更されることになる、とウェーバーはいう[*12]。
こうした「価値公理」を自覚的に取り出すことの意味について、私なりに一つ具体例を考えてみたい。
マルクスの『資本論』はそれじしんとしていえば、市場における自由な利益追求が必ず利益の最大化をめざす資本の運動をもたらし、この資本の運動が社会を形成するきわめて大きな力として働くことを解明したものであって、経験科学的にみてきわめて大きい仕事といえる。現代の社会科学者のだれ一人として、現代社会を解明するさいに、資本の運動の大きな影響力を考慮せずにすむと考える者はないだろう。
しかしマルクス主義が実現しようとしていた「社会主義」は、自由な市場における競争から生まれる不平等を解消しようとするものとして、個々人の自由よりも平等の側に大きな価値を置くものといえる。一七、一八世紀の社会契約論者たちは、個々人の自由な自己決定(自由に職業を選択し、自由に売買して利益を追求し、自由に意見を表明する)をきわめて重要な価値とみなしていたが、マルクス主義の「価値公理」は明らかに、富の平等を重視して、売買によって私的利益を追求する自由を「制限」することをよしとするものである。
マルクス主義の価値公理が、自由よりも平等を重視するものであり、一定の自由の犠牲を孕むものであることを、社会主義者たちは明確に自覚していたかどうか。そしてそのことが、どのような現実的な帰結を孕むことになるかを自覚していたかどうか。社会主義は一つの貴重な実験であったが、そこにおいて「価値公理とその実現可能性」を徹底して考え抜くことがなされたかどうかは、疑わしい。
なぜならば、強い「正義」の感覚とともに一つの価値理念が私たちを捉えるとき、私たちはそれが「つきつめれば」どういう理念であり、どういう公理に帰着するのか、それを「本気で実現しようとするならば」どのような帰結をもたらすか、ということを明確に考えることが少ないのだ。「私は正義をなしている」と思えるだけで、人は充足できるからである。
個々の価値判断がどういう理念に帰着するか、かつ、それを実現するためにはどのような手段が必要でありどのような副次的帰結をもたらすか、ということを自覚的に明確化することは、みずからの価値理念を「責任倫理的に」検証し・鍛え挙げ・担い直すために、きわめて重要なプロセスであり、まさに「思想」の営みといっていいものである。
この「価値議論」を、ウェーバーは、経験科学である社会学の作業からは区別している(〈客観性論文〉ではそれを「社会哲学 Sozialphilosophie」と呼んでいる[*13])。たしかに個々の価値判断からその価値公理を導いていく作業は、社会学とはいえない。しかし価値公理がいったんその実現可能性(手段と副次的帰結)を考慮するさいには、社会学的な考察が必要になる。社会学的な考察は、価値理念の現実性を検証するために欠かせないものとして、価値議論という「思想」の営みの一環をなすといえるだろう。
さて、具体的な諸目的の根底にある「理念」を開示し自覚化するという課題の一つの方向が「価値議論」であった。しかしこの課題にはもう一つの方向、すなわち、社会学じしんが価値や理念を「対象」として論じる、という方向がある。
折原浩は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義』を例に挙げて、それが「具体的な諸目的の根底にある理念の解明」を、経験科学の方向において追究する営みであることを指摘して、次のようにいう。「〈倫理論文〉は、近−現代の欧米人がみずから追求する具体的諸目的に[意識してか、無意識裡にか]リンクさせている〈職業義務〉観を研究対象に据え、その根底にある禁欲的プロテスタンティズムの救済「理念」を、その「発生状態において
in statu nascendi」解明している。そうすることによって、当事者が、日常性に埋もれがちな、みずからの目的設定の根底にある「理念」を、改めて理解−追体験し、その上に立って意識的に態度決定をくだすように、促しているのである([]内は原著者による)」[*14]。
私たちはここで、晩年のウェーバーが「社会学の基礎概念」(1922)(『経済と社会』冒頭)において、みずからの社会学を「理解社会学 verstehende Soziologie」と呼び、「社会的行為を解明しつつ理解 deutend verstehen し、そうすることにより当の行為の経過と結果を因果的に説明 ursaechlich erklaeren する一つの科学である」[*15]と定式化したことを思い出してよい。
この「理解」という言葉は、ディルタイに由来する。ディルタイは自然科学の方法としての因果的「説明」に対して、人間の行動を追体験的に意味理解する「理解(了解)」を精神科学(歴史学)の方法として示したが、ウェーパの社会学の定式化は、社会学が因果的説明を否定するのではなく、むしろ「動機に遡って追体験的に理解する」という理解の方法を取り入れることによって、社会的行為の因果的説明をなそうとするものだ、ということを述べたものといえる。
たしかに〈倫理論文〉は、近代資本主義の成立に不可欠な要素として、禁欲的なプロテスタンティズムが働いたことを実証するものであり、その面では、自然科学とも共通する「因果帰属」(ある事柄が成立するための原因群の「一つ」であることを証明する作業)をなすものであった。しかしそれは、この追体験的意味理解の方法を駆使することによって、理念や価値観を歴史的発生的に反省し捉え直す作業でもあったのである。
「理解社会学」は、もちろん採用すべき価値理念を提示することはできないが、それは、自己自身が無自覚にうけついだ価値理念の成り立ちを社会学的−経験科学的に反省することによってみずから自覚的にそれを検証する作業、という意味合いをもつことによって、それは明らかに、「思想」の営みといいうるものとなっているのである。
3−2 価値理念による認識の方向づけ
〈客観性論文〉に戻ろう。この論文の第二の論点は、社会認識じしんがそもそも価値理念によって方向付けられるものであって、単なる実在の模写ではない、という点にある。ウェーバーによれば、実在は無限に多様な出来事のカオスであり、そうした実在のなかから、われわれは、ある部分をみずからの価値理念に関係づけ、その限りで「知るに値する」ものとみなすのである[*16]。
これはもちろん、価値理念から社会的な事実を色づけしそれらを評価的なまなざしのもとに語ることが社会学の課題だ、ということではまったくない。社会認識という営みは、そもそも、社会全体を客観的包括的に模写することではなく、主体の側が「〜の物事は知るに値する」とみなすことよってはじめて可能になる、ということを主張しているにすぎない。主体の側の価値理念によって定まるのは、対象と課題とである。その課題にどう答えるか−−たとえば、近代の資本主義を発生的に解明するという課題において、禁欲的プロテスタンティズムをその要因の一つとみなしうるかどうか−−という点については、厳密な経験科学としての手続きがありうる、とウェーバーは考えた。
価値理念抜きの、包括的・客観的な社会認識などありえないが、しかしそのことは、経験科学的な記述が価値理念から「演繹」されることを意味しない、というのが彼の立場だった。そして、価値理念から科学的認識を濁らせてしまうことのないよう、価値理念と経験科学的な作業(具体的な因果帰属)とを峻別することを彼は強調したのである。
このようなウェーバーの認識論は、マルクス主義が陥ったような《理論の客観主義化》(「『資本論』は客観的実在を写し取っているのだから、客観的真理そのものなのだ」)と、《包括的な世界観化》(「『資本論』は正しい実践の方向をも指し示している」)とを避けるうえで、きわめて重要なものであったと私は考える。
そしてそれは、社会科学的認識が、どのような「実践的関心」から、どのような具体的な「問い」を受け取り、そのためにどのような「概念装置」を必要とすることになったのか、をつねに自覚的に問題にする態度であった。この態度は、社会学の理論を作り出す側にとっても、それを受け取る側にとっても、きわめて重要なものである。
なぜなら、社会科学的認識や理論が特定の「生」の場面から生まれていることを忘却することは、理論の客観主義化を許し、かつ、価値理念が無自覚なまま経験科学的な実証に混入してしまうことを許すからである。逆に言えば、社会科学的な認識や理論がどのような生の要請から生まれたものであるのかを明確に意識することによってはじめて、理論の客観主義的な把握や、無批判な「世界観化」に抗うことができる、といえよう。
*
これまでの検討の内容を、あらためて整理しておこう。ウェーパーは、価値判断と社会認識の峻別を説いたが、しかしそれは価値判断を社会認識にとって無用なものと考えたからではなかった。むしろウェーバーは、政治家を志したこともあったほど、強い実践的関心をもっていた。
しかし歴史的事実の客観的記述というかたちのなかに、みずからの価値関心を暗々裏のうちに流し込み、読み手に特定の価値判断を「暗示」するようなことを、彼はもっとも嫌った。みずからの価値判断は、究極的にはどのような価値理念(価値公理)にもとづいているかを自覚的に検証し、その実現可能性を考慮し、その上でその価値を主体的に選択する、という「価値議論」。/みずからの価値理念のありようを、社会学的に検証し確かめる作業。/社会学的営みの「前提」にある価値理念の自覚。−−以上のような仕方で、価値について唯一の正解を想定することなく、その価値を検証し鍛え上げ、その上でみずから選択することをウェーバーは望んだのである。
ウェーバーは決断主義である、とよく非難されることがある[*17]。「価値の問題については論証はありえず、何の理由も根拠もなくただみずから決断的に選択する以外にはない、というのがウェーバーの立場だ」という意味である。これが大きな誤解であることは、明らかだ。むしろ、みずからの価値の検証と主体的選択という作業を、ウェーバーはきわめて重要なものと考えていたのだから。
4.現代の社会学と「思想」
社会学は思想たりえないのか?という冒頭の課題に戻ってみよう。
現代の人びとが社会学に要求するものとして、「社会的な困難を解決するための社会政策や社会構想の提出」ということがあるはずだ、と私は述べた。この意味での「思想」の営みを図式化してみれば、
実践的関心→対象と課題設定→概念装置の設定と因果帰属→実践的理念にもとづく社会政策・社会構想の提出
ということになるはずである。こうした一連の営みのなかに、因果帰属という社会学の作業が位置している。ウェーバーの強調点は、因果帰属の作業じたいは価値から自由に行わねばならない、という点にあったのであって、社会学がこうした一連の営みの「中核」に位置していることを否定したのではない。ただ、価値と社会学の営みとを峻別することによって、実践的価値判断の究極の「公理」とそれを実現するさいの「手段」と「副次的帰結」とを明確にし、その上で理念を自覚的に担うことを、ウェーパーは求めたのである。
さらに、現代の人びとが要求するものとして「正義と不正義の問い」がある、と私は述べた。ウェーパーの考えでは、それに対しても社会学は直接には答ええないが、やはり上で述べた価値公理の自覚とその実現可能性を考慮する作業(「価値議論」)が、この問いを個々人が考え進めていくための方法となるだろう。これは、具体的な社会学的事実の認識や社会学理論を学ぶことと同時並行して、押し進められるべき作業だと考える。
というのは、前に少しふれたように、価値判断と社会認識とを無自覚に混ぜ合わせた議論が、いまきわめて多くみられるからである。たとえば、国民国家や資本主義といったものを先験的に「悪」と決めつけた上で語られるような「社会学」的論文を多数見ることができる。
一つ具体例を挙げれば、ウォーラーステインの「世界システム論」は、該博な歴史的・社会学的知識を活用しつつ、世界資本主義は先進国が周辺国から搾取するシステムであるという像を語るものであり、たしかに一定のリアリティを感じさせるものである[*18]。しかし彼は「資本主義・市場経済の枠内で南北問題が解消されていく条件と道筋を構想することかできるのか、もし構想しうるとすれば先進国の側にはどのような態度がとりうるか」という根本的な問題を無視したまま、あたかも「客観的事実」を語るように叙述していく。そして、著者はみずからの正義の基準(値理理念)と新たな社会構想とを明示することがない。
このような語り口は、先進資本主義国に生まれた人びとに罪悪感のみを与え、新たな社会構想を持ち得ないまま「資本主義は悪であり、それに抗い続けねばならまない」という倫理的な(「責任倫理」ではなく、純粋に「心情倫理的」な)態度をもたらすことになる。それは、素朴な正義感をもつ人びとに特定の信仰を「迫る」ようなものとなるのである。
この点に関連して、「あらゆる言説は政治的である」とする現代的な考え方の危険性についても、ここで一言指摘しておきたい。それは「価値判断と事実認識がクリアーに二分しうるということはない、あらゆる学問的な言説もすでに価値判断を含み混んでおり、政治的な立場を含み混んでいる」という考え方であり、それは、ウェーバーの〈価値自由〉の態度を、不可能なものとしてあざ笑うだろう。
この考え方は、一つには、科学的言説を「中立的な真理」に近づくものとみる見方を廃して、「だれがそれを語るのか」「なんのためにそれを語るのか」を問題にし、権力の網の目のなかに置かれたものとして科学的言説を分析する手法を提起したフーコーや、また別の源泉としては、純粋な事実認識などはなく、認識じたいが何かの目的をもっていとなまれる一つの社会的な営み(言語ゲーム)であることを主張したウィトゲンシュタインの哲学にその発想の源泉をもっている。
たしかにまったく純粋・中立的な学問、事実をそのまま「写像」するような学問がありうえないこと、それが特定の価値関心からなされるものであることはただしい。しかしそのさいに重要なのは、ウェーバーのいう、みずからの価値理念の自覚化とその実現可能性の考慮である。そのような作業なしに、「あらゆる言説が政治的含意をもつ」ということを臆面もなく認めるだけならば、社会学の営みは、特定の政治的立場に立って他の立場を排撃するという、戦略的な勝ち負けのゲームと見なされることになる。それは、互いに理を尽くして合意の可能性を求めるのではない、単なる「世界観抗争」となる。価値理念を相互に検証しあう作業も存在せず、従って主体的な価値理念の選択もできないままになる。「思想」の営みはそこでは窒息してしまうのである。
もう一つ、現代の社会学がもつ、また別の危険性についてもここで語っておきたい。現代の社会学には、多様な理論が溢れている。社会を分析する包括的な枠組みを提供しようとするルーマンのシステム理論、生活世界の合理性を求めるハーバーマスのコミュニケーション的行為の理論、新たな権力論を構想し主体の系譜学を問題にしたフーコーも哲学の領域を超えて社会学に大きな影響を与えている。また現象学的社会学、エスノメソドロジー、モダニティを問題にするギデンズ……。そして近年では、社会問題を問題化する概念的枠組みじたいを意識化しようとする、社会構築主義の立場などがある。
そしてそれぞれの理論の多様性は、現代の社会学を学ぶ者にとっては、社会学は「こんな見方もできる、あんな見方もできる」というその見方の面白さ、不思議を感じさせるものとして受けとめられがちである。もちろん、新たな社会と自己の見方の面白さということを、私は否定しようとは思わない。しかしそこに欠けてしまうのは、その「見方」じたいがどのような社会的生のなかから要請されたのか、ということ、つまり理論のモチーフに遡ってみようとする姿勢である。
それぞれの論者には、その理論(概念的枠組み)をつくりださねばならなかった、明確な理由−−社会的現実を生きる上で見出される困難と、それを問題にするためには旧来の概念図式では不十分だという理論家自身の経験−−があるはずだが、しかしそのことがはっきりと受けとめられることは少ない。一言でいえば、「なぜ・なんのために」このような理論的な枠組みが形づくられたか、ということが受けとめられない。むしろ、多種多様な理論は、社会的現実を説明するさまざまな新しい・面白い見方を提供するもの、として受けとめられがちである。
それは、学ぶ側だけの問題ではない。現代の社会学研究者のなかにも、「なんのための社会学か」ということを意識することのないまま、新たな理論的枠組み、新しい概念装置をつくることの「面白さ」をもっぱら追求しようとする傾向が認められるように思う。しかしこの面白さは、極端な言い方をすれば、「オタク」な面白さである。ああもいえる、こうもいえる、というのは、たしかに面白い。しかしそれは、切実に考えようとする者にとっては、「何を読んでも結局は同じ、なんとでもいえるのさ」というニヒリズムにつながるだろう。
私は、それぞれの理論が、どのような実践的関心(価値理念)から、どのような問いを抱え、そのためにどのような概念装置を要請せずにおれなかったのか、というまさに「思想」のプロセスを明確にすることが必要だと思う。特に若い大学生たちにとって、理論を「思想のプロセス」として見る見方がでてきてはじめて、理論は単なる面白さから、自己と世界を考えるための道具となりうるだろうから。
現代に人びとにとって「生の意味への問い」が重要となっているということを私は1節で述べた。この問いに社会学はどう答えうるだろうか。このことを考えることで、この論を締めくくることにしたい。
ウェーバーのいうように、この問いに社会学が答えを出すことはできない。哲学や人間学が答えを出すこともできない。この問いは、議論によって決着をつけうるよう種類の問いではないからである。
しかし哲学や人間学は、この「生の意味への問い」を、たとえば「なぜ動物とちがって、人だけがこのような問いを発することができるのか」という問いへと変換し、そのことに一定の答えを出そうと努力するだろう。
では、社会学はどうこの問題にアプローチしうるだろうか? ウェーバーと同時代人だったジンメルは、十九世紀末におけるベルリンの急激な大都市化、近代化を経験しつつ、〈自己が生きている意味はどこにあるのか〉〈自分は「ほんとうの」自分を生きていないのでなはいか〉というような問い−−かつては貴族や哲学的精神だけが抱え込む種類の問い−−が、大衆のものとなりつつあることを自覚していた。「生の意味の問いが浮かび上がってくる社会的な¥件とは何か」という問いをジンメルは追究しようとしている[*19]。
もとよりこの問いは、生の意味の問いに直接答えを出すものではない。しかし、この問いは、まさに「個」に対して訪れてくる問い(悩み)が、じつは社会的な広がりをもつものであることを教え、社会的な条件からそれを見つめ直すことで、みずからの問いと悩みを「相対化」しつつ、そこに新たな見方をもたらすものである。このような実存的な問いに対する社会学的アプローチは、非常に重要な「思想」のプロセスとして、現代の人びとの生を勇気づける役割をもちうると私は考える。
【註】
*1 Nietzsche,F. <Der Wille zur Macht> ,Kroeners Taschenausgabe Bd.78,12.Aufl.,1980,§418,S.284.
*2 アンダーソン、ベネディクト『増補・想像の共同体−−ナショナリズムの起源と流行』、白石さや・白石隆訳、NTT出版、一九九七年、四三−四六頁を参照せよ。
*3 Hobbes,T.,<Leviathan>(first published 1651),ch.13,penguin classics,1985,p.186.
*4 那須壽編『クロニクル社会学』有斐閣アルマ、一九九七年、一−四頁。
*5 マルクスがヘーゲルの立場をどのように批判して経験科学へと以降したのか、また、マルクス主義がもたらしたさまざまな困難については、西研『哲学的思考−−フッサール現象学の核心』筑摩書房、二○○一年の第七章「社会の現象学」で詳しく論じている。
*6 Weber,Max 《Der Sinn der ≫Wertfreiheit≪ der soziologischen und oekononischen Wissenschaften》,in :<Gesammelte Aufsaetze zur Wissenscaftslehre,3.Aufl.,1968,Tuebingen>(以下、<Wertfreiheit>と略す),S.501. 『社会学・経済学における「価値自由」の意味』、木本幸造訳、日本評論社、一九七二年、四六頁。訳文は西なりに少し手を加えている。
*7 <Wertfreiheit,>S.502. 邦訳、四八−四九頁。
*8 Weber,Max 《Die ≫Objektivitaet≪ sozialwissenschaflicher und sozialpolitscher Erkenntinis》,in:<Gesammelte Aufsaetze zur Wissenscaftslehre,3.Aufl.,1968,Tuebingen>(以下、<Objektivitaet>と略す),S.150. 『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性』、富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳・解説、岩波文庫、一九九八年、三二頁。
*9 〈客観性論文〉前掲訳書、一九六頁。
*10 <Objektivitaet>,S.150. 邦訳、三三頁。
*11 〈客観性論文〉前掲訳書、二○九頁。
*12 <Wertfreiheit,>S.510f. 邦訳、六五−六七頁。
*13 <Objektivitaet>,S.151. 邦訳、三四頁。
*14 〈客観性論文〉前掲訳書、一九八頁。
*15 Weber,Max <Wirtschaft und Gesellschaft>,5.Aufl.,1980,Tuebingen,S.1.
*16 cf.<Objektivitaet>,S.175ff. 邦訳、八二−八三頁を参照せよ。
*17 例えば、ユルゲン・ハバーマスの「独断論と理性と決断」『理論と実践』、細谷貞夫訳、未来社、一九七五年所収、三五八頁以下、を参照せよ。
*18 ウォーラーステイン、I.『近代世界システム』T・U、川北稔訳、岩波現代選書、一九八一年、を見よ。
*19 菅野仁「「支配」と「文化」の社会学−−ジンメル」『行為と時代認識の社会学』小林一穂編、創風社、一九九五年、所収は、ジンメルの現代的意義をまさにこの点に見ている。