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(2024.9.1)

このホーム・ページは、哲学者・西研(にし・けん)と、犬端渉(いぬはし・わたる)=管理人 で作っていきます。西の活動状況や、論文、エッセイ、管理人・犬端への「語りおろし」などを掲載していきます。少しずつ充実させていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


 講座のご案内

■「デカルト入門」(NHK青山文化センター)
2024/10/26(土) 14:00〜18:00 ZOOMオンラインで開催します。


※「われ思う、ゆえにわれあり」というデカルト(1596-1650)の言葉を耳にされたことのある方は多いでしょう。この講座では有名な『方法序説』を中心に、主著『省察』にもふれながら、彼の哲学のスピリット≠体感できるよう、わかりやすくお話してみたいと思います。また、デカルトの生き方が伝わってくる『情念論』や、フッサール現象学とのつながりにもふれます

申し込みはこちらをご覧ください。



近著のご案内

「ヘーゲル 自由と普遍性の哲学」(河出文庫:「ヘーゲル・大人のなりかた」の増補版)


この本がヘーゲルを論じつつ示そうとしたのは、近代理性は絶対の普遍を滅ぼしてしまい、各自が語りあいながら納得を求めるという場所以外には普遍性が成り立たない、ということだった。つまり、普遍性は“人びとがつくりあげるもの”になったのだ。そして、普遍性をつくりあげる努力がなければ、自由な社会も自由な生き方も成り立たないということを、ヘーゲルは説得力ある仕方で語っていると私には思われた。
私はこの本以降、フッサール現象学の方法による哲学対話の可能性をもっぱら追求し、ヘーゲルは『精神現象学』と『法の哲学』のコメンタール以外には、とくに論じてこなかった。しかしそれはヘーゲル哲学への関心がなくなったからではない。むしろ、人びとが普遍性(人間性に共通する本質や、人びとが共有しうる教育や医療の理念)を実際に形成しうる方法をフッサール現象学のなかに見出してきたからであって、その意味では、このヘーゲルの本で得たものの延長線上で仕事をしてきたのだなあ、とあらためて思っている。(文庫版まえがき 『自由の可能性はどこにあるのか』より)

書き下ろしの文庫版「まえがき」はヘーゲル哲学の核心を分かりやすく伝えるとともに、「自由」という概念のもと、人はどのようにそれぞれの生の可能性を構想し、またそれを活かしあっていける社会のありかたを構想してきたのかということを深く・かつ明快に語り出しています。ぜひ読んでみてくださいね。



「しあわせの哲学」(NHK出版)が刊行されました



本書では、……哲学者たちの人間論をもとに、「そもそも人は何を求めて生きる存在なのか」を考えます。
そしてそのうえで「人が元気に喜びをもって生きていくために必要な条件は何か」、
一言で言えば「しあわせの条件」の問いに答えを出してみたいと思います。
みなさんはぜひ、自分のこれまでの経験を振り返りながら、私と対話するように本書を読んでみてください。
そして、あなたにとっての「しあわせの条件」を考えていただければと思います。
(本書 「はじめに」より)


「超解読!はじめてのヘーゲル『法の哲学』」(講談社現代新書 竹田青嗣さんとの共著)


ヘーゲルの『法哲学』〈1821〉は、ルソーの『社会契約論』〈1762〉と並んで、正義の根拠――なんらかの法や政策が「正しい」といえることの根拠――について、もっとも深く考えた著作である、と竹田と私は以前から確信していた。しかし、正義の根拠についてさかんに議論してきた現代アメリカの「正義論」において、ルソーとヘーゲルが正面から取り上げられることはほとんどない。
ルソーの思想が全体主義的なものと受けとられてきた経緯については、竹田が「まえがき」でふれているが、ヘーゲルの思想もやはり、国家主義的・全体主義的なものとされてきた。彼らの思想が英米で取り上げられない理由の一つはおそらくそこにあるが、さらに、『法の哲学』がきわめて読みにくい、ということもありそうだ。
……そのため、『法の哲学』の内容と意義をわかりやすく伝える本をつくりたいね、と以前から竹田と話していたのだが、ようやく完成することができて、とてもうれしく思っている。(「あとがき」より)


「現象学とは何か」(本質学研究会での共著 総論A「本質観取をどのように行うか」を執筆)



哲学と学問が力を失って久しい。もちろん、人間と社会についてのまっとうな研究がなくなってしまったわけではない。しかし哲学と学問によって、人の生き方と社会をよりよいものしていける、と本気で思っている人が、いまの社会にどれだけいるだろうか。
しかし、この本の著者たちは、ちがう。お読みいただければ、どの論考も新たな学問(普遍認識)を創り出そうとする意欲と気概に溢れていることがわかるだろう。
もっとも、ここでの「普遍認識」はかつての独断論(我こそは真理を語る)ではない。人々の多様な感度を損なうことなく、しかも、それぞれが深い納得を得られるものを、フッサールは「普遍認識の方法」として示そうとしたのである。
この点は様々な理由により見過ごされてきたが、この本は、あらためて現象学の根本動機と方法を明確にするとともに、そこから実際に新たな学問を形成しうることを示すものであり、いわば「現象学の新たなマニフェスト(宣言)」たることを意図している。
(「あとがき」より)


2020 6/1 からNHK「100分de名著」で、カント『純粋理性批判』の解読が4回シリーズで放映されました。

講座テキストがNHK出版から刊行されます。



……『純粋理性批判』の課題は、@科学が合理的な根拠をもって共有できる根拠、Aなぜ人間の理性は究極真理を求めて底なし沼にはまってしまうのか、さらにBよく生きるとはどういうことか、(道徳の根拠)、を明らかにするということになります。
これらの課題は、いまも決して古びていません。AI(人工知能)や脳科学の研究が加速的に進み、ビッグデータを背景とした新たな科学至上主義が勃興するなか、人間の存在意義はいったいどこにあるのか、これからどう生きていけばいいのか、不安や生きづらさを感じている人は少なくないのではないのでしょうか。
科学の信頼性の根拠を明らかにするとともに、「よく生きること」を問おうとしたカントの問題意識は、いまもう一度受けとめられるべきだと考えます。……
(「はじめに」哲学の歴史を書き換えた一冊 より)


哲学は対話する』(筑摩書房)



※この本で私が示したいのは、次のことだ。

1.哲学は「根源的真理を問うもの」でもなく、「根源的真理をめざす悪しき哲学(形而上学)を解体しようとするもの」でもない。哲学の最大の課題は、ものごとの「よさ」(なぜよいのか・どういう点でよいのか)を問うことにある。(哲学の課題)
2.そうすることで、一人ひとりの生き方と、社会のあり方とを「よりよき」ものにしようと配慮することが、哲学の目的である。
3.哲学は、人それぞれの答えの出ないものではない。適切な問い方をすることで、人びとが納得しうる答え(共通了解)を作っていくことが可能である。(哲学の方法)

 つまり、哲学の課題と目的についての明確なイメージと、さらにそのために皆が納得できる共通了解をつくる方法があることを、この本で示したい。そして、多くの市民が哲学の対話に参加し、それを楽しんでもらえるようになってほしいと、私は願っている。
 
(本書 はじめに―哲学と共通了解 より)

 「本質学研究」に「『哲学は対話する』と対話する」を書かせていただきました。



「100分de名著 読書の学校 ソクラテスの弁明」 が刊行されました。



「哲学の対話は、価値の根拠をつかもうとするものですから、自分の生き方の軸を育てる働きがあります。
しかしそれだけではなく、人それぞれに違いはあるけれど一緒に生きていこうという意思をはぐくみ、一緒に生きていく方法を考えようとする感覚が生まれてくる。これもまた、対話の大きな意義だと私は考えています。」(本書P122より)



NHK Eテレ 「100分de名著 ルソー」のテキスト、刊行されています



……ルソーが『エミール』で課題としたのは、「自分のため」と「みんなのため」という、折り合いにくい二つを両立させた真に自由な人間をどうやって育てるのか、ということでした。この難しい課題に対して、この本は彼なりの答えを示しています。
……今からおよそ二百五十年も前にルソーが提示したこの課題は、現代においてもまったく古びていないどころか、いまますます重要なものになってきていると思います。(「はじめに」より)



『人間科学におけるエヴィデンスとは何か』(新曜社)が刊行されました。

WEB雑誌『本質学研究』が創刊されました。

教哲研(教育を哲学する研究会)のサイトができました。)


 書下ろしエッセイ(2015.6.18)

「体験を黄金に変える」−藤野美奈子の発見≠オたニーチェ―


 語りおろし
普遍性をめぐる最近のエピソード(2013.12.24)

「歴史と哲学との対話」をめぐって(2013.3.31)
「自己了解を可能にする『条件』とは何か」(2013.2.11)
「現象学的明証性とエビデンスをめぐって(2012.9.6)
「このごろの西研 ここからの西研2012」(2012.7)


近著のご案内です(2015.10.12更新)


『人間科学におけるエヴィデンスとは何か―現象学と実践をつなぐ』

(新曜社 西研・小林隆児編著 竹田青嗣・山竹伸二・鯨岡峻著)

この本は、竹田青嗣さん、山竹伸二さん、私(西研)という、哲学を専門とする三人(山竹さんは心理学にも詳しい)と、発達心理学者として長く保育現場に関わってこられた鯨岡峻さん、児童精神科医として発達の困難を抱えたお子さんお母さんとの臨床を長く続けてこられた小林隆児さんの、五人の論者によって書かれています。

このように出自はちがいますが、この本にはすべての章を貫く共通の想いと主張がはっきりとあります。それは「人間科学と哲学を自己・他者・関係の理解に役立つものにしなくてはならない。そして臨床や支援のよりよき実践を支えるものにしなくてはならない」という強い想いであり、そして、「人間科学と哲学をそのようなものにするためには、研究者も実践者も自分自身の意識体験―とくに他者と関わる体験―をよく感じ取って言語化し共有していくことが欠かせない」という主張です。

(本書「プロローグ」より)



「風景とローカル・ガバナンス
」〈共著・早稲田大学公共政策研究所〉(早稲田大学出版2014.6.30)



※第5章「自治の主体の成立条件と風景」、第6章「風景の人間的意味を考える」を担当しています。
……人々が風景をよいものにしよう、と動き出すときには、豊かな自然との関わりや人々どうしの関わりを求める願いが必ず含まれているはずである。そして、そうした関わりを保全し・発展させ・次の世代へとつなごうとすることに、活動する人々は使命感と喜びとを見いだすのだろう。……(第5章より)


別冊100分de名著「『幸せ』について考えよう」〈共著〉 NHK出版2014 5.30



※「哲学の章」を担当しています。
……自分とは個別性に囚われた存在で間違うこともあるが、だからこそそれを自覚してつねに他人と語り合い、ほんとうによいことを確かめ合いながら生きていくということ。そんな経験を重ねて、絶えず自分を新しくしながら、社会のなかでいい仕事をしていくこと。
そんな生き方ができれば、人は自由にもなれるし、同時に幸福にもなれるはずだ……。ヘーゲルの『精神現象学』から導き出される「幸せ」の姿は、このようなものではないでしょうか。(本文より)



憂鬱になったら、哲学の出番だ!』〈田原総一郎氏との共著〉(幻冬舎)(2014.2.20)



……それぞれの感度や利害をまずはていねいに受け止めようとする。そのために議論もする。そうしたなかから、「やっぱりこう考えるのが、まっとうではないか」を見つけていく。ただ難癖をつけるのではなく、フェアな姿勢に照らして納得できないことを受け入れず、「まっとうなこと」だけを発信しようとする、田原さん一流の姿勢が伝わってきました。テレビに出演し続け、本も売らなければならないなかでフェアを貫くことは、日本の社会ではとても大変だったはず。にもかかわらず、自分なりのスタンスを確立しようとしてきた田原さんは、日本には珍しい人かもしれません。そして、声を大にして言いたいのは、田原さんの「フェアな立場からまっとうを見つける」という姿勢は、哲学する姿勢そのものである、ということです。(終章「哲学は人間を自由にする」より)



『歴史と哲学の対話』〈竹田青嗣氏、本郷和人氏との共著〉(講談社)(2013.1.28)



哲学の精神を「不偏不党」と言ってしまうと、あたかも……利害にかかわらないように聞こえますけれども、むしろ人がお互いを理解し合ってきちんと共存していく、そのエロスと利害のために、哲学はある。だからある歴史の見方だけが絶対で、自分は元気が出るからそれ以外の見方は認めないという人は、自分たちのベネフィットは考えるけれども、一緒に共存する人たちみんなのベネフィットを考えない、ということですよね。だから、やはりそれは困ったものだ、ということになるわけです…………こちらの見方をするほうが、僕らの歴史の見方をもっとオープンにするし、僕たちがこれから地域、国家、国際的な、さまざまなレベルでいい形で共存するうえで役立ちますよ、これからの国家や人類社会を構想するうえでも役立ちますよ、もっと広く言うと、人間社会とか歴史一般を考えるうえでも、こういう見方をしたほうがよりエロスを与える見方になりますよ、ということは言い得ると思うのです(本文より)


『知識ゼロからのニーチェ入門』〈竹田青嗣氏、藤野美奈子氏との共著〉幻冬舎



この本は、マンガと文章を織りまぜながら、ニーチェ思想のエッセンスを伝えようとするものだ。まずニーチェの生涯のマンガを見て、彼の人生を感じてほしい……
……〈恨み(ルサンチマン)は、人生をダメにする。どうやってルサンチマンを噛み切って、生きる喜びや憧れを持ち続けられるか?〉この困難な問いをニーチェは身をもって生きた。そして『ツァラトゥストラ』を書いた。彼の言葉は、きっと皆さんのなかにしみこんでくると思う。もう一つ。ニーチェは根っこから考えようとした、ほんものの哲学者だった。〈かつては神の観念によって、「なんのために生きるのか」の答えが与えられていた。それが滅びてしまうと、前向きな力が失われていく。そうした世界のなかで、私たちはどうやってまっすぐな憧れの力を持つことができるか?〉この問いは、人間の欲望の本性を問う独自の思想(力への意志)へと結実していく。ニーチェの思想の歩みをたどりながら、哲学の営みの意味と、そのバトンを受け継ぐことの意味とを感じてもらえれば、とてもうれしい。(本書「はじめに」より)


『哲学の練習問題』(2012.1.10)(河出文庫)



※この本の「原型」は、1997年に一年間、毎日新聞の日曜文化面に掲載した「哲学の練習問題」である。『自分と世界をつなぐ 哲学の練習問題』(NHK出版)として単行本になっていたが、しばらく絶版となっていた……
今回の改定では、当初は、いわば「点」である各項目を見渡すための地図のつもりで、各章末に少しばかり文章を書き足すつもりだった。じっさいに始めてみたら、その分量はどんどんふくれあがり、結果的に、本全体の3分の1がまったくの書下ろしとなってしまった。認識・人間の欲望・社会正義について、ある程度まとまって書けたのはうれしかったし、読者にとっても、より見通しのよいものになったのではないかと思う……(あとがき より) 



『集中講義 これが哲学!』(2010.1.10)(河出文庫)



※本書はもともと『大人のための哲学授業』というタイトルで出版されたものだ(大和書房20020)。……文庫本化にあたって……ゲラを見ているうちにあちこち手を入れたくなってしまい、結果的には「リニューアル版」といっていいものになってしまった。あらためて読み直してみて、気づいたことが二つある。
一つは、自分の考えが基本的には変わっていないことをあらためて確認できたこと。……そのことがわかっただけでも、この作業には意味があったと思う。
もう一つは、哲学の必要性ということが、時代の要請もあって、自分のなかでますますハッキリしたものになってきていることにも気づかされた。ここしばらくルソーの『社会契約論』やヘーゲルの『法哲学』を読みなおしてきたのだが、社会理念の再構築の仕事をやらなくてはいけないなあ、と感じている。この本にその部分を書き加えようかと思ったが、かなりの大工事になってしまうので、それについては禁欲することにした。今後、ヘーゲル論かルソー論のかたちで、試みてみようと思っている。
また、……「人間的世界の特徴」でスケッチした「実存の哲学」についても、発展させたいと思う。いま発達心理学や精神医学にも足をつっこんでいるので、そちらの知見も加えて、将来、全面的に新しいものを書いてみようと思う。(あとがき より)


2011 3〜4月,NHK教育テレビで「100分de名著 ニーチェ『ツァラトゥストラ』」が放映されました
視聴者の方とのQ&Aが同番組HPにUPされています。



テキストが単行本になりました。ぜひ読んでみてくださいね。


「完全解読 ヘーゲル『精神現象学』」(竹田青嗣さんとの共著)です。




至高なものをめぐって 〜本書「あとがき」より 

未定稿特別公開
 ●意識章 


竹田青嗣さんのHPでも、刊行前の未定稿が一部公開されています。


 
 
知のプリズム (2007 8/17)